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ゴールドコーストマラソンの結果表が送られてきたのが9月27日。
そこに「1996 クイーンズランドマスターズ」のエントリーフォームが入っていた。
この参加申し込みは9月19日が締切日なのだが、GCマラソンの結果表の発送が遅れたらしく、締切日が延長されて9月一杯になった。
といってもあと3日しかない。
これによるとアッシュモアのトラックを使って行うアスレチック大会のようである。
おもしろそうなのでエントリーしてみようと思ったのだが、参加料が高い。
大会参加料が35ドル、それに競技参加料が30ドルある。
ハーフマラソンに出場するだけで65ドルは高すぎる。
もったいないので10kmも参加することにした。
2本出ても料金は変わらずに65ドルである。
GCマラソンならハーフと10kmで70ドルになる。
これならまあまあだろう。
10kmは金曜日に、ハーフは日曜日に行われる
エントリーフォームと65ドルの小切手を送った。
「Masters News」なるものが送られてきて、この大会に合わせてゴールドコーストではいろんなイベントが開催されるらしい。
また、地元新聞によると、「クイーンズランド マスターズ ゲーム」は、1994年にブリスベンで「ワールドマスターズゲーム」が行われ、世界各地から23,500人もの参加者があったことを記念して、地域のマスターズ・ゲームとして創設されたものらしい。
第1回は1995年、つまり昨年、タウンズビルで開かれ、21種目に2,500人の参加があったという。
よって今回のゴールドコーストは第2回目にあたる。
23種目で6,000人のエントリーが見込まれているという。
マスターズとは「mature aged people, generally over 30 years」ということで30歳以上の人を指すようである。
ちなみに言うと、5年後の2001年に「ワールドベテランズアスレチックチャンピオンシップ」という大会が開催されて、6,500人の参加者が世界中から集った。
ゴールドコーストマラソンなど比較にならないほどに豪華な大会であった。
私もマラソンで参加している。
西欧系の選手が多かったが日本人の参加者もいた。
しかし、これを記念して「クイーンズランドベテランズアスレチック」が創設されたという話は聞かない。
比較していうなら「世界マスターズ」は年齢者のオリンピックみたいなもの、「世界ベテランズ」は年齢者の世界陸上みたいなもの、ということであろう。


さてゼッケンとガイドが送られてきた。
ゼッケンはハーフと10kmクロスカントリーの2本に共用される。
しかしこれによるとハーフと10kmクロスカントリーはアッシュモアではなく別の場所で行われるようである。
その場所がどうもわかりにくい。
問い合わせると「旧レースウエイ」ということである。
レースウエイとは競馬場のことをいうらしい。
でも、旧競馬場ってどこだ?
どうも、その時「小飛行場」となっていたカラーラの空き地をさすらしい。

現在の地図によると、エマニエルカレッジの隣で、現在はエメラルドレイクという高級住宅地になっているところである。
そのころは「A」が小飛行場、「B」は牧場であった。
エマニエルカレッジはそのままである。
この湖になってしまったところに当時は飛行場があったのである。
はじめは競馬場であった。
競馬場が現在の場所であるバンドールに引っ越したとき、そのレースコースを舗装して飛行場にしたのである。
よって直線の滑走路は左右に2本あり、各距離は1,000m以上の長さがある。
セスナなどには楽な離陸距離になる。
11月1日の金曜日に10kmクロスカントリーが行われた。
小飛行場へいくとアーミー(軍隊)が会場を管理している。
敷地内で行われ、道路に出るわけではないのでポリスの出番はなく、開催者はアーミーに管理を頼んだのかと思った。
だが、そんなことでアーミーが出てくるわけがない。
会場の設定くらいはボランテイアに頼めばなんとでもなる。
ということは答えは一つ。
この小飛行場はアーミーの管理下にあるということである。
主催者はアーミーにこの場所を借りたということだ、と考えるのが辻褄が合う。
なを民間のセスナの発着はゴールドコースト空港を使っている。
また、お金持ちが集うゴールドコースト飛行機クラブはクーンババの環境保護区のなかにあり、土曜日あるいは日曜日にサウスポートからヘレンズベイルに向かってゴールドコーストハイウエイを走ると時に上空にセスナの機影を見かけることができる。
スタートして飛行場の周囲のアップダウンを回って牧場に入っていく。
この外周を2回あるいは3回ほど回って、また飛行場の外周を回って帰ってくるコースである。
実際、馬が放し飼いになっており、走っているとこちらをじっと見ている。
足元には馬糞がころがっており、これを避けながらのランニングになる。
道を間違えるアクシデントもあったりした。
目標は50分を切ることである。
残念なことに、「50:08」でわずかに切れれなかった。
カテゴリーではビリから2番目である。
1日おいて日曜日はハーフマラソンになる。
この飛行場のいわゆる滑走路は約3キロある。
よってこれを7周することになる。
常に周回数を数えてないといけない。
もちろん、係もカウントしており、最終周回ではランナーを横に設えられたゴールコースに誘導する役目を背負っている。
目標は最高タイムを出すことである。
でも突っ張ってしまい、8キロから15キロまでの間をホバートのランニングクラブの老人とバトルをしてしまい、15キロを1時間11分30秒で駆け抜けてしまい、それ以降はキロ6分を切るのがやっとになってしまった。
ゴールでは「47」の番号札をもらった。
これが順位ということだろう。
タイムは「1:46:41」であった。
このタイムはこれまでの最高タイムではあるのだが、しかし、カテゴリー順位はビリである。
結果表のから10kmクロスカントリーとハーフマラソンを抜き出して載せる。







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