2014年7月27日日曜日

1998 アジアパシフィックマスターズゲーム:Asia Pacific Masters Game

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 ゲーム参加料が高い。
 だが、参加競技数によってだんだん値段が安くなるという設定になっている。
 つまり、たくさんの競技に参加すればするほど、トクになるというシステムである。
 よって、今度はハーフ、10kmクロスに加えて5,000mトラックまで入れてしまった。
 これまでトラックで走ったことなどない。
 これが生まれてはじめてのトラック競技で、おそらく最後のトラック競技になるだろう。
 参加料が高いのはこのバッグがついてきているせいではないかと思ったりする。
 ゴールドコーストマラソンはナップザック程度だが、このバッグはスポーツバッグとしては本格的で頑丈で、十数年たったいまも新品時と同じように使える。




●参加者特典

●通行証


●3種目共通のゼッケン

 送られてきたレース案内では、10kmクロカンと5000mがトラックがグリフィス大学で、


ハーフマラソンはブロードウオーターで行われるという。


 なんだかやたらと手抜きのガイドである。




 さて本番になる。
 金曜日は10kmクロスカントリーである。
 朝7時にスタートである。
 グリフィス大学のアスレチックコートで待っていたが、参加者らしい人はいない。
 ウーン、どうした。
 聞いてみたら、ここではなく隣のパークランドだという。
 そんな案内はなかったが。
 急いでそちらに回る。
 選手リストにマーキングして登録を終える。
 参加者は150人くらいか。
 アジアパシフィックというが、みたところアジア系は私だけのような気がする。




 上の図の「B」がクロカンが行われた場所である。
 ショーグランドと呼ばれている広場にあるハーネス(馬車)レース場の横をスタートして、現在マスグレーブパークになっているアップロードのある雑木林がクロカンの舞台になる。
 いまは公園に整備されたが、そのころはただ木々の生い茂る林にすぎなかった。
 ちなみに、現在は公園ということになっているが、これ人間の公園ではない。
 犬を放せる公園である。
 イヌ好きが車でやってきて、犬の首輪をとって、散歩する公園である。
 なを、「A」と書き込んであるところがグリフィス大学のトラックで、その周りの建物群がグリフィスのキャンパスである。 

 少々病み上がりでどれだけ走れるかわからないが、行かれるところまで行こうと思ってゆっくり入る。
 クイーンズランドマスターズのときは、1kmの表示があった。
 よって非常に走りやすかったが、ここには1kmどころか、ここには5kmの表示すらない。
 なんだこれは!
 時計をみながら、おそらく50分弱だろうからと思い、その配分でスピードを計算する。
 ゴールはハーネストラックの前の芝生であった。
 この芝生に入ったとき、ヤバイと思った。
 前日までの雨で芝生が十分な水を含んでいて、まるでスポンジ状態。
 ここはブレーキをかけてゆっくりいかないといけない。
 だが、後ろから追い込まれて、やたらに足を使いまくって逃げてしまった。
 フクラハギがビンビンになり、歩くのもままならなくなってしまった。

 ゴールには水もなければ果物も置いていない。
 ひどいものである。
 クイーンズランドマスターズははるかに手配が行き届いていた。
 ここはメチャクチャである。
 「下の下」である。
 タイムは手元計時で47分前後。
 通常ならゴール脇に時計があるのだが、ここにはその備えもない。
 後日、レサルトが送られてきたが、これにもタイムは記載されていない。
 時計がないのだから計時ができないのは当たり前だが、常識を超えたバカバカしさである。
 
 駐車場はすぐそこなのだが、歩けない。
 ちょっと歩いては休み、そしてまたほんのちょっと歩く。
 這っていけば動けるのだが、それではあまりにみっともない。
 何とか車に行き着いて、家に帰ってくる。
 運転に支障はなかったが、帰ってからが大変。
 歩けないので這っていく。
 風呂に飛び込みフクラハギのマッサージ。
 出てからも一途にマッサージ。
 明日の5000mまでに回復するのか不安になる。
 夕方には右フクラハギの痛みは引いた。
 左が朝までにどれくらい楽になるかである。
 
 ありがたいことに痛みは引いていた。
 なにしろほぼ徹夜でマッサージした。
 寝たのは夜明け前にウトウトしただけ。
 土曜日の5000mは9時からはじまるので気分的に朝に余裕があった。
 グリフィスに出かけていったのだが、今度は選手登録名簿に私の記載がない。
 なんなんだ、これは!
 手書きで追加登録してもらった。
 計測はマイクロチップで行われるようで、足首に巻きつけるバンド付きチップを渡された。
 
 前半が女子、後半が男子で、8時過ぎに女子の部がスタートした。
 高齢のおばあさんランナーがほとんど歩くような感じでエントリーしていたので、時間が順次ずれこんでいった。
 男子は当初2組の予定であったが、参加者の登録漏れが発覚して最終的に倍の4組になってしまった。
 よって私がスタートしたのは10時過ぎになった。
 「23分は切れるだろうが、22分はどうだろう」
というコメントを残して走り始めた。
 なにしろ、生まれてはじめて走る競技場のトラックである。
 これまで経験したことのないトラック周回のランニングである。
 私の組は17名である。
 5キロともなれば皆はじめから飛ばしていく。
 なにしろ、5キロのレースなど過去にしたことがない。
 いつもは10キロレースで、そしてハーフである。
 どうスタートしていいやら、ペース配分はどうすべきか、などまったくわからない。
 気がついたらあっという間にドンケツである。
 一人だけニュージーランドのランナーがゆっくりだったので、これを半周過ぎのメインスタンド前で抜いてケツから2番目に上がる。
 前ははるかに離れてしまっている。
 でも辛抱して差を少しづつつめ、時に抜いて順位を上げる。
 と思ったら、今度は抜かされてことになる。
 トップランナーの集団に周回遅れにされてしまったのである。
 ロードでは絶対にないことである。
 まったく景色の変わらないトラックを12周半するのが5000mである。
 飽きるかと思ったがそんなヒマはない。
 なにしろ今自分は何周目かということを忘れないようにするだけで一杯である。
 素朴な疑問だが、あれランナーっていうのは覚えているものなのだろうか。
 それとも観客席からカウントが出ているものなのだろうか。
 若い時は覚えられるが、マスターズなどでは記憶がアイマイになる人もいるのではないだろうか。
 こういうときは、タイム計測と周回カウント用の2つが同時にできるウオッチがあればありがたいと思うのだが。
 ゴールに入ったときは
 「これで終わり、それともあと一周?」
と聞いてしまった。
 手元計時で「21分40秒」である。
 22分を切れた。
 キロ「4分20秒」になる。
 上出来である。
 
 さていよいよ日曜日。
 ハーフマラソンである。
 コースはブロードウオーターの内海沿いをゴールドコースト橋から通称ペリカンシーフードまでの5キロを2往復するコースである。

 

 地図的には上のようになるが車道を走るわけではない。
 緑の部分では遊歩道を、それがないときは歩道を走ることになる。 
 だが、なにしろひどかった。
 スタート・ゴールの位置ですら明瞭ではなく、クロスカントリーと同じように距離表示はなく、ゴールには時計もない。
 オフィシャルは日曜日に
 「こんなバカなカケッコに付き合わされて」
といった感じで不愉快さを態度に表している始末。
 内容を書くのも気が咎めるような
 史上最悪にして最低のハーフマラソン
であった。
 ランニングをまるで知らないズブの素人が運営していた、としか思えない。
 もし自分に経験がないなら、ゴールドコーストランニングクラブに丸投げしたっていいものだ。
 ランニングクラブなら、もっと優雅にして気配りのある運営をしただろうに。
 タイムは手元で「1時間45分48秒」。
 
 さて、問題はこれでは納まらないのである。
 後日、タイムテーブルが送られてきた。
 
 
 






 5000mは「21分40秒」でカテゴリーのビリから4番目。
 10kmクロスカントリーはタイム表示はなく、カテゴリーでビリから同じく4番目。
 ハーフマラソンだが、そのタイムが「2時間00分49秒」である。
 一体、この数字、どこから出てきたのだろう。
 手元で「1時間45分48秒」なのである。
 その差、なんと「15分」
 数字が出ているということは、何らかの形で計測はしたのだろうと思う。
 まさか、サイコロを振って決めたわけでもあるまい。
 摩訶不思議である。
 なを、タイムを含めハーフマラソンの失態については、別にお詫びの手紙が同封されていた。
  そのため以降の大会からはハーフマラソンは削除されてしまった。

  まさにこれはトラウマになる。
  再びハーフマラソンが競技種目として陽の目を見ることはないだろう。
  ちなみに言うと、ゴールドコーストではハーフマラソンなど行えるところはいくらでもある。
  都市部のブリスベンですらブリスベンマラソンの他に、競馬場周辺を使ってクイーンズランドハーフマラソンを開催している。
 ゴールドコーストならさしずめランナウエウベイのスポーツセンターか、あるいはカラーラのフットボール場とその周辺を使ったハーフマラソンは開催可能である。
 でも、そのままハーフマラソンを復活させることは心の傷をえぐることになる。
 せっかく封印したパンドラの箱を開けることになる。

 もしやるとすれば、ゴールドコースト特有のハーフマラソンでなければならない。
 例えば「ビーチハーフマラソン」とか。
 10kmくらいのビーチランはゴールドコーストでは頻繁に行われているから、それを拡大して行えばすむことである。
 ロードのハーフマラソンは開催できないだろうが、ビーチハーフマラソンなら特殊な競技になりゴールドコーストをアピールする上でも出来そうに思うが。
 バレーボールがビーチバレーとしてオリンピックに登場しているくらいだから、ハーフマラソンもビーチハーフとして開催しても不具合はないだろうと思う。
 
 今日、マイケル・シェリーがコモンウエルスゲームのマラソンで優勝した。
 次の大会は4年後の2018年で、場所はゴールドコーストである。
 まさか、コモンウエルスゲームで「マラソンはやらない」なんてことはできないだろう。 
 そろそろ、パンパシフィック・マスターズも考えを変えないといけない時期にきている。



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